大学院に行く理由

わたしはこの4月から、名古屋大学大学院教育発達科学研究科の
博士課程(前期)に在籍しています。
(教育科学専攻/高度専門職業人コース/高等教育マネジメント分野)


なぜ、大学院進学を決めたのか。
いろいろな理由、原因、きっかけがあります。


ひとつは、「リベンジ」です。
実は、大学院への進学は、これが初めてではありません。
2002年から2004年、京都大学大学院文学研究科の修士課程に在籍し、
修士号(文学)を取得しています。
当時の大学院進学の理由は、もちろん研究者を志していたから。
ただし、その実は、社会に出たくないというモラトリアム志向が
強かったから、です。(おりしも、当時は超就職氷河期でした)、
そんな中途半端な気持ちで進学した顛末は、目に見えています。
思いっきり挫折。ダメ院生として、暗黒の2年間を過ごしました。
そのため、修士号を取得したことじたいにずっと罪悪感がありました。
もう一度大学院へ進学し、きちんと研究して、修士号を取得したい。
それが、「リベンジ」の意味です。


また、大学職員として働く中で、目の前の業務をただ「こなす」
だけではなく、知識にもとづいた「深みのある仕事」をしたいと
思うようになったこともあります。
知識を得るのは独学でも可能かもしれないけれど、やはり体系的に
学びたい。ならば、大学院だろう、と。


大学院進学が、大学職員としての自分のキャリアにとって、
良いことなのかどうかは、わかりません。

職員に求められる業務の高度化・複雑化に伴い,大学院等で専門的教育を受けた職員が相当程度いることが,職員と教員とが協働して実りある大学改革を実行する上で必要条件になってくる。
中央教育審議会「学士課程教育の構築に向けて(答申)」(2008.12.24)]

答申ではこんなことが言われていますが、むしろ、職員が大学院に
行くことについては、アレルギー反応が強いのが現実です。
「理論だけ身に付けた頭でっかちな職員なんて使えない」
「仕事は業務をする中で学ぶべき」等々。
数年前から大学院進学を考えていながら、実行に移せなかったのは、
そういう現状に対する自分自身の答えが用意できなかったからです。


でも、30歳を目前にして、ふっと吹っ切れた瞬間がありました。
両親は健在。結婚もしていない。役職にも就いていない。
タイミングは今しかない、と思ったのです。
答えはいたって、シンプルでした。
「何もしないで後悔するより、やってから後悔するほうがいい」


幸いにも職場の理解が得られたので、「自己啓発部分休業制度」を
申請し、週3回、京都から名古屋まで通学しています。
この無謀な挑戦が、はたして実を結ぶのかどうか。
ゴールの見えないレースは始まったばかり。
焦らず、自分のペースで、走り続けてみようと思います。