学問と信仰

ケンブリッジ大学を訪れたときに、考えたこと。


それぞれのカレッジには、必ず礼拝堂(教会)があります。
質実なたたずまいがかえって美しさを感じさせるような。
その中にある小さなチャペルで、しばらくぼーっとしていると、
ふと、「学生たちはここで何を祈っていたのだろう?」という疑問が
頭に浮かびました。
(「単位が取れていますように」と祈ったりしたのかな…?)
常に信仰と共にある彼らの日々は、いったいどのようなものだったのか。


そこからさらに飛躍して。
学問と信仰の関係について、少し考えました。


少し前から、研究者と聖職者は似ている、と思うようになりました。
自らの信じるものに一生を捧げる姿が。
ただ、その信じるものが、学問と信仰、ふたつあった場合はどうなるのか。
今まで積み重ねてきた研究の成果が、「真理」に反するものであったら?


わたしの浅い知識では、ガリレオ・ガリレイの異端審問くらいしか具体例が
思いつきませんでしたが、キリスト教の考え方が絶対とされる世の中では、
「真理」に反するという理由で、せっかくの研究成果を自ら封印してしまう
研究者もいたのかもしれない…なんて、いろいろと考えをめぐらせてしまいました。


本当のところはどうなのかわからないし、学問と信仰の関係、いいかえると
科学と宗教の関係は、現代も続く問題なのかもしれません。
特定の信仰を持たず、また、研究の世界にいるわけでもないわたし自身が
ぴんとこないだけで。


信仰が研究に及ぼす影響や、信仰を持つ研究者と持たない研究者の違い。などなど。
ケンブリッジ大学のアカデミックな雰囲気にふれ、歴史に思いをはせる中で、
学問と信仰の関係に、少し興味を持ち始めたところです。